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	<title>【除霊・霊視・心霊治療のREM】 &#187; たましいのステージ</title>
	<link>http://resoul.net</link>
	<description>福岡にある除霊・霊視・心霊治療のREM公式サイト。悩みを抱える方の心を開放する場所です。</description>
	<lastBuildDate>Thu, 11 Mar 2010 01:42:53 +0000</lastBuildDate>
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	<item>
		<title>「たましいのステージ：罪と罰３」</title>
		<description>

償いの法則＝ゼロの法則

罪は苦しみを通じて償われる

過去に犯した「罪」は苦しみのプロセスを通して償われるようになっています。

（ゼロに戻るともいいます。）

これが「償いの法則＝ゼロの法則」です。

苦しみがあるということは、それ以前に何かしら神の法則（摂理）に反したことをしてきたということです。

今、病気や苦しみ、悩みを体験しているならば

かつてそれに相当する間違いをしてきたことを意味します。（ゼロ地点から離れている距離ともいえます）

しかし償いの法則で大切なことは、どのような間違いだったかを悔やむのではなく、

病気や苦しみ、悩みによって「罪」が償われ

見えない世界を浄化し、新たな霊的成長の道を再出発できるための法則で、そこが大切だということを理解していただきたいと思います。

人間は病気や苦しみ、悩みを通して「罪」を償い、見えない世界を浄化し（ゼロに戻し）、霊的成長を遂げるのです。

病気や苦しみがなければ人間は見えない世界を浄化することができず、霊的に成長することはできません。

その意味では病気や苦しみはありがたいものだと言えます。 </description>
		<link>http://resoul.net/stage/1357.html</link>
			</item>
	<item>
		<title>「たましいのステージ：罪と罰２」</title>
		<description>

 

病気や苦しみ、悩みの責任は誰にあると思いますか？

病気や苦しみ、悩みは自分自身でつくった罪（神の法則への違反）の罰です。

これまでの人生（前世と現世を含む）での利己的行為や神の法則（自然の摂理）に反した生き方が

いまの病気や苦しみ、悩みとなっています。

これは病気や苦しみ、悩みの原因・病気の責任が自分自身にあるという紛れもない事実なのです。

これを「自己責任の法則」といいます。



皆さんは病気や苦しみ、悩みは周りから与えられたもの、偶然に発生したものと考えていますが

実はすべて自分自身がつくり出したもの

大半の方は自分は何も悪いことはしていないと言いますが、前世まで含めるならばそれらの原因はすべて自分にあるということになります。

「病気や苦しみ、悩みはすべて自分自身に責任がある」という霊的事実を受け入れることはとても辛いことであり、勇気が必要です。

しかしそれらを受け入れることが極めて重要な点で、「霊的成長＝たましいのステージを上げる」に関わる大切なことなのです。

でも前世を実感できない現世の人はそのことを受け入れるのはなかなか難しいと思います。

しかし、霊的視野＝たましいレベルで視ていくとそれは紛れもない事実なのです。

その事実を受け入れることで病気や苦しみ、悩みに対する姿勢は根本的に違ってきます。

前世に原因があると言われると、原因追究のために前世の自分が何者であったかに関心を向ける人がいますが、

自分の前世が何者であるかは知る必要はありません。

神様は深い配慮から、一人一人の前世が何者かわからないようにしてくださっています。

だからわからないのです。

それは現世で起きている、病気や苦しみ、悩みを受け入れ克服することが大切だということを意味しているからです。

自分の前世が何者であったか、病気や苦しみ、悩みの原因がなんだったかは死後の世界の審判の世界にいけばわかります。

ですからそちらに関心を向けないほうがいいです。

前世に原因があったからこの病気や苦しみ、悩みがある。

そのことだけを受け入れて、現世をどのように生きるかを模索することが、罪（原因）を償い、罪を解消することなのです。

 

 

 </description>
		<link>http://resoul.net/stage/1298.html</link>
			</item>
	<item>
		<title>「たましいのステージ：罪と罰１」</title>
		<description>

 

病気や苦しみにはそれらを引き起こすことになった原因があります。

神様が創られた宇宙には偶然の出来事は存在しません。

だから病気や苦しみには必ず原因があります。

これを「原因と結果の法則」といいます。

私たちの生活、宇宙とそこに存在するすべては

神様がお造りになられた「神の法則」のもとに成り立っています。

「原因と結果の法則」はその法則の一つになります。

「神の法則」は自然の摂理

病気や苦しみは「神の法則」に反した結果生み出されたものです。

宗教的な表現をするならば「神の法則」に反したことが「罪」その結果が「罰」ということになります。

「罰」というと恐ろしいイメージがありますが

その罰は決して嫌悪するものではありません。それについては後に述べさせていただきます。
「罪」とは
まず「罪」についてお話させていただきます。

「罪」、「カルマ」とも言われています。

結論から言わせていただきますと

「罪（カルマ）」は物質主義・本能主義に発した「利己的行為」のことです。

利己的行為は「神の法則」に反することです。

利己的な行為の中には程度の酷いものから、軽いものまで様々なレベルがあります。

大半の人間が前世を含めたこれまでの人生のなかでいろいろな「罪（カルマ）」をつくりだしています。

大きな「罪（カルマ）」小さな「罪（カルマ）」それは個人によって様々です。

多く抱えている人もいれば、ほとんどないという人もいます。

「罪（カルマ）」の現れ方もその量（程度）によって違い、それに見合った病気や苦しみが「罪（カルマ）」として現れるようになります。

例えば大きな罪（カルマ）は大病や生まれつきの心身の障害、

小さな罪（カルマ）は軽い病気や対人関係でのトラブルとして苦しみをもたらすようになります。

大半の病気の原因を根源までたどっていくと「利己的行為」という過去の事実にいたります。

前世を含めたこれまでの人生でおこなってきた「神の法則」への違反（利己的行為という罪）が現在の病気や苦しみを引き起こしているのです。
「大きな罪と小さな罪」
＊大きな罪とは＊

私たちのほとんどは前世を覚えていませんから前世の罪といっても混乱すると思います。

しかし前世でした行為が死後の世界や生まれ変わったときにストレートに影響をもたらすのは厳然たる霊的事実になります。

霊的事実の一部をありのままに述べさせていただければ

前世において他人を殺害したり、他人を冷酷・非道に扱ったり、周りの人々を自分の欲望のために犠牲にするといった酷い事をしてきた場合、それが大きな罪となって、来世には償いのために（ゼロの法則）苦しみが発生することとなります。

大病や難病・奇病、生まれつきの心身の障害といったケースはそうした前世でも罪が原因となっていることが多いのです。

前世において独裁者や権力者・お金持ちであった場合は多くの罪をつくりだしている可能性が高くなります。

反対に前世を貧困の中で過ごした場合、罪はずっと少なくなります。

物質的に苦労した分、霊的に恵まれることになります。

＊小さな罪とは＊

小さな罪は現世の人生における利己的行為（悪口を言う・人を攻撃する・無駄なものを持つ・物への執着・わがまま）や利己的思い（否定・批判・嫉妬・妬み・自分への過小評価）、また肉体を不自然に酷使する行為（飽食・邪食・運動不足・過労など）を指します。

こうした小さな罪（神の法則への違反）に対してもそれに見合った苦しみが罰（履修課題）という形でもたらされます。

どれほど小さな利己的行為であっても、積もり積もればやがて神の法則の摂理によって苦しみという罰（履修課題）が自動的に発生することになります（ゼロの法則）

利己的な人間は、周りの人々から嫌われ寂しい境遇に置かれるようになります。

利己愛という罪は”人々から愛されない”という孤独・寂しさといった形で罰（履修課題）が与えられます。

肉体を不自然に酷使した場合は”病気”という形で罰（履修課題）が与えられます。

小さな病気・生活習慣病などの多くはこうした法則によって引き起こされた罰（履修課題）なのです。

最近多くみられる鬱病など精神疾患なども心を不自然に酷使した罪（原因）が引き起こした結果（罰）なのです。

ただし現世でつくりだした小さな罪やさほど根深くない罪は、本人の反省と自覚・悔い改めの努力によって清算することができます。

本人が気づき、病気や苦しみを受け入れ、正しい努力（神の法則の実践）をすることで現世の人生の間に罰（履修課題）の清算をすることができ、来世のステージが上がります。 </description>
		<link>http://resoul.net/stage/1268.html</link>
			</item>
	<item>
		<title>「たましいのステージ：体はちゃんと教えてくれている」</title>
		<description>

 

自分を知らないと、知ろうとしないと

いつまでもたましいを磨くことには到達しません。

もし、体のどこかが原因もわからず痛いのだったら・・・・・

それは、体が教えてくれているのです。

「もうそろそろ、目を覚まして自分をみてくれませんか・・・」と

体を通してたましいが言っているのです。

「もうそろそろたましいを磨かせてくれませんか・・・」と </description>
		<link>http://resoul.net/stage/1100.html</link>
			</item>
	<item>
		<title>「たましいのステージ：たましいのはどの肉体に宿る？」</title>
		<description> 



生物はみんな「たましい」をもっています。

その「たましい」は永遠で肉体は滅んでも、次の肉体に宿ります。

それが人間であったり、虫だったり、動物だったりで様々なのですが

大抵は人間だったら同じ人間の肉体に宿り、虫だったら虫、動物だったら動物の肉体に宿ります。

でも人間だったときにかなりひどいことをすると、虫や動物の肉体にそのたましいは宿ります。

（ひどいこととは、騙したり、殺したり、執着したり、それが他人に対してだったり、動物に対してだったりにしてしまうことであり、自分を粗末にすることがひどいことです。）

それはどうしてかというと「たましいを磨く」ための基本に還るため

虫や動物は”生きる”ということだけに正直に生きています。感情はなく純粋に”生きる”ことだけに集中しています。

虫は動物は人間に比べると寿命はかなり短いです。

その短い間にどれだけ生きることに集中できるかで次に人間の肉体に宿ることができます。（どのくらいの期間かはそのたましいによって違います。）

人間の肉体に宿ることで、ようやく神様に戻れるように「たましいを磨く」ことができます。

 </description>
		<link>http://resoul.net/stage/846.html</link>
			</item>
	<item>
		<title>「たましいのステージ：いろいろな因縁」</title>
		<description>私たちにはたましいを磨くためにどうしても履修しなければいけない課題があります。

それは因縁と言われるものです。

この因縁は個人によって様々です。

例えば「所有欲」からくる因縁

物欲・性欲などや自分の理想を叶えるための欲なども「所有欲」で

この因縁が深いと、最初はうまくいっても途中からうまくいかなくなることが多いです。

わかりやすいのが人間関係、

最初は仲良くてもだんだん人が離れていくのはその人が理想を押し付けて自分の

思い通りにしようとする欲が相手に重くのしかかるから相手は苦しくて離れていってしまうのです。

この”思い通り”というのも「所有欲」。

この場合は理想を人に押し付けないようにお稽古すると少し軽くなります。

「家族」

家族関係の因縁もあります。

けっして仲が悪いわけではないのに家族といると苦しいとか

本当は一人がラクなのに家族像にあわせて無理していたり

家族の声を聞いただけで落ち込んでしまうことがあったり

普段はなんともないのに実家に帰るとぜんそくになったり

この場合は家族と一定の距離を保つことで因縁は少し解消されます。

このほか

結婚に関係するもの、セックスに関係するもの、お金に関係するもの、病気に関係するもの

個人によって様々な因縁があります。

しかし因縁はなかなか自分ではわからないもの

でも大丈夫、因縁を知ることがなくても因縁を履修できる方法があります。
それはたましいを磨くこと
 

たましいを磨くことが因縁を知っても、知ることなくても因縁を履修できるただ唯一の方法です。 </description>
		<link>http://resoul.net/stage/775.html</link>
			</item>
	<item>
		<title>「たましいのステージ：前世」</title>
		<description>たましいは永遠に続いています。

肉体という船に乗って人間というものになって「たましいを磨き」ます。

何度も何度も肉体をもって人間になります。そしていろんな人生を歩みます。

それは男だったり女だったり、農民だったり貴族だったり武士だったり騎士だったり乞食だったり犯罪者だったり

それはそれは様々な人生

今生きている大多数の人が前世をもっています。

でもほとんどの人は覚えていません。

覚えていないということは、なにか意味があります。

でも時折覚えている方がいらっしゃいます。それはたましいを磨く上で必要だからだと思います。

そして現世は少なからず前世が影響しています。

知りたいと思う方もいらっしゃると思います。

前世を知って現世でたましいを磨くことに生かすことができれば知ってもいいと思います。

だも前世に縛られてたましいを磨くことが出来なくなったら、現世で履修課題をクリアできなくて苦しみを繰り返してしまいます。

前世は現世でたましいを磨くためのヒントで決して縛られるものではないのです。

もし前世を知る機会があったら、どうかそれを今を生きるための参考にして、現世を自由に生きてしあわせになって欲しいと思います。

たましいを磨くためだったら神様がきっと前世をわかるようにしてくださいます。 </description>
		<link>http://resoul.net/stage/611.html</link>
			</item>
	<item>
		<title>「たましいのステージ：因縁」</title>
		<description>＊因縁＊

因縁というと呪いとかオカルトチックな感じがしますが、違います。

因縁はたましいを磨いてしあわせになるために必要なものです。

人間はどうしても履修しなければならない課題を因縁という形で学び習う。

履修とはきちんと理解して使えるようになる為の課題

この因縁という形の課題を履修しないとたましいは磨けないし、たましいのステージを上げることはできません。

因縁は人＝たましいによってそれぞれ違うので比べることはできません。

 そして因縁はたましいを磨くための必須科目なので、何年かかっても履修しなければいけません。

逃げても追かけてきます。誰も因縁からは逃れることはできません。

履修しない限り因縁は、たましいが続く何十年、何百年、何千年といろんなシチュエーションで手を変え、品を変え履修をせまってきます。

＊因縁を履修するために＊

神様は人間にどうしてもしあわせになってもらいたいから、因縁を辛くて、悲しくて、痛いという悪いものにしたのです。

そうしないと人間は変えようとしないし、履修しようとしないから・・・

人間は自分の身にふりかかってこない事には真剣に問題を解決しようとはしません。

（法則１６：人は涙を流さなければほんとうのことはわからない）

しかし因縁を必要以上に怖がることはありません。その人が履修できる因縁しか神様はお与えしません。

そして因縁はあきらめなければ必ず履修できます。

＊因縁はその人によって違う＊

因縁は与えられたたましいによって違います。

それはそのたましいを磨くためにその因縁が必要だからです。

わたし達はたましいを磨いてたましいのステージを上げて再び神様に戻っていく法則のもと肉体をもって生きています。

生まれた環境や性別が違うのはそのためです。そして因縁も・・・

その因縁は様々です。

食べ物、お金、人間関係、家族、仕事、結婚、離婚

人によって違います。だから「わたしだけどうして？？」と悲観することもありません。

みんななにかしら因縁をもっています。だからといって比べることもありません。

大切なのはその因縁を受け入れて誠実に履修することです。

悲観しないで履修することにエネルギーを使えばいいのです。

因縁は人間にとって必要なものなのです。

それを履修するか、できるかでしあわせが違ってきます。 </description>
		<link>http://resoul.net/stage/426.html</link>
			</item>
	<item>
		<title>「死後の世界」</title>
		<description>死んだ人のたましいはどこにいくのでしょう？
神様から教えていただいた、肉体から出たあとのたましいの行方をお話いたします。


霊界：肉体から出たたましいは、まず霊界というところにいきます。いわゆる幽霊がいるところです。ここにいる間は人間界（生きている人間の世界）に影響及ぼすことができます。呪いとか、いたずら（ポルターガイストなど）とか

人間界に未練をもっていると何年も何百年もここに留まることになります。
審判：死んだことを受け入れ、人間界に未練が無くなると、ここに上がってきます。　この審判では生きている間に起きたこと、自分がしたことを体感しながら再度経験していきます。体感する意味もあって昔から天国・地獄を言われています。　ここで次のたましいのステージが決まります。ここでの期間はたましい差があって長い人、短い人と様々、人間界でどのように生きたかで決まります。
待機：ここでのたましいは、次に生まれ変わるまでふわり、ふわりと漂っています。何も感じず、考えずただふわりふわりと、そして神様がそのたましいが、たましいを磨いて神に近づける最適な環境の肉体にたましいを送り届けます。その環境とは時代・性別・国・親・家族・肉体的特徴のことをいいます。
人間界→霊界→審判→待機→人間界を何度も繰り返してたましいのステージをあげていき”肉体を持たない世界”にたどり着き
いずれ神の一部に戻り、そして再び分離して人間の肉体に宿ります。
　　　　
　　　　
 
　　　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
　　　 </description>
		<link>http://resoul.net/stage/200.html</link>
			</item>
	<item>
		<title>たましいのステージについて</title>
		<description>

 

＊たましいは神様の一部です＊

"たましい"は神様の一部が分離したもの・・・
と神様から教えていただきました。

神様から分離した"たましい"は、また神様にもどります。
神様にもどるため、わたし達は"たましい"を肉体に宿して、いろんな人生を何度も生きます。

＊それぞれたましいのステージがあります＊

一度の人生では、簡単に"神様"にもどれません

何度も何度も生まれ変わって学んで"たましいを磨いて"たましいのステージ"を上げていかないと神様にはもどれません。

人にはそれぞれの"たましいのステージ"があって、それぞれ学ぶことも違います。

内容は違うけど、全部のたましいに段階のステージがあります。
たましいを磨かないとそのステージは上がっていくことはできません。

＊たましいを磨くということ＊

たましいを磨く・・・とはどういうことなのか
まずは、日常のこんなことができないとたましいを磨くことに到達できません。

ご飯を大切に食べること、毎日を楽しく過ごすこと、悪口や不平不満を言わないこと、なんにでも集中すること、規則正しく生活すること、リラックスすること、自分に嘘をつかないこと、どれも神の法則・神理です。

神の法則通りに生きることで、本当の自分に還れて"たましいを磨く"ことができます。

"たましいを磨く"ことは生きるための使命で、その使命をもって人は生まれてきています。しかし、使命を知る前には神の法則通りに生きることが必要です。そうしないと自分の使命（生まれてきた意味）はわからないまま過ごすことになるのです。

＊でもその前に＊

輪廻転生の仕組みと死後の世界の仕組みとたましいのステージについて順番にお話していきますね。 </description>
		<link>http://resoul.net/stage/56.html</link>
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