「たましいのステージ:因縁」
*因縁*
因縁というと呪いとかオカルトチックな感じがしますが、違います。
因縁はたましいを磨いてしあわせになるために必要なものです。
人間はどうしても履修しなければならない課題を因縁という形で学び習う。
履修とはきちんと理解して使えるようになる為の課題
この因縁という形の課題を履修しないとたましいは磨けないし、たましいのステージを上げることはできません。
因縁は人=たましいによってそれぞれ違うので比べることはできません。
そして因縁はたましいを磨くための必須科目なので、何年かかっても履修しなければいけません。
逃げても追かけてきます。誰も因縁からは逃れることはできません。
履修しない限り因縁は、たましいが続く何十年、何百年、何千年といろんなシチュエーションで手を変え、品を変え履修をせまってきます。
*因縁を履修するために*
神様は人間にどうしてもしあわせになってもらいたいから、因縁を辛くて、悲しくて、痛いという悪いものにしたのです。
そうしないと人間は変えようとしないし、履修しようとしないから・・・
人間は自分の身にふりかかってこない事には真剣に問題を解決しようとはしません。
(法則16:人は涙を流さなければほんとうのことはわからない)
しかし因縁を必要以上に怖がることはありません。その人が履修できる因縁しか神様はお与えしません。
そして因縁はあきらめなければ必ず履修できます。
*因縁はその人によって違う*
因縁は与えられたたましいによって違います。
それはそのたましいを磨くためにその因縁が必要だからです。
わたし達はたましいを磨いてたましいのステージを上げて再び神様に戻っていく法則のもと肉体をもって生きています。
生まれた環境や性別が違うのはそのためです。そして因縁も・・・
その因縁は様々です。
食べ物、お金、人間関係、家族、仕事、結婚、離婚
人によって違います。だから「わたしだけどうして??」と悲観することもありません。
みんななにかしら因縁をもっています。だからといって比べることもありません。
大切なのはその因縁を受け入れて誠実に履修することです。
悲観しないで履修することにエネルギーを使えばいいのです。
因縁は人間にとって必要なものなのです。
それを履修するか、できるかでしあわせが違ってきます。







